皆さんこんにちは柏木わらびです。
突然ですが将棋を指したことはあるでしょうか?
私は家族と指したことがありますが、美しく書かれた漢字が刻まれた駒に目を奪われることがあります。
「王将」「飛車」「角行」といった文字は単なる駒の名前だけでなく、それ以上の深い意味を持っています。これらの漢字には、1000年以上にわたる将棋の歴史と、古代から現代まで受け継がれてきた日本文化の精髄が込められているのです。
今回の記事では、以下のことについて知ることができます。
- 将棋の起源と伝来ルート
- 駒の漢字に込められた「珍宝佳品説」
- 五角形の駒形状の意味
- 持ち駒ルールの独自性
- 現代まで受け継がれる書道芸術

A shogi board displaying various shogi pieces with their corresponding kanjico
将棋の起源:古代インドから日本への長い旅路
将棋はどこで発祥し、どのように伝わったのでしょうか?
以下の記事で説明していきます。
チャトランガから始まった将棋の系譜
将棋の起源は、古代インドのボードゲーム「チャトランガ」にあるとされています。チャトランガとは、サンスクリット語で「四つの部分」を意味し、臣・象・馬・車の4つの戦力を表していました。
この4つの意味を持った駒と、「歩兵」の5種類の駒を使ったゲームだったそうです。
このゲームが西に伝わってチェスとなり、東に伝わって中国の象棋、朝鮮半島のチャンギ、そして日本の将棋になったと考えられています。
チェスと将棋が元をたどれば同じというのは、個人的に驚きでした。
日本への伝来ルート
将棋が日本に伝わったのは6世紀から7世紀頃とされており、伝わった経路については複数の説があります。かつては奈良時代の遣唐使である吉備真備が中国から持ち帰ったという説が有力でしたが、
現在では東南アジア経由説が主流となっています。これは、タイ将棋との親近性や中国将棋との駒名比較から導き出された結論です。
私は日本以外の将棋は見たことがないので、ルールや道具の違いがあるのかも気になります。
平安時代に花開いた将棋文化
今でこそボードゲームとして私たちの生活に根付いている将棋ですが、日本ではいつ流行し始めたのでしょうか?
最古の将棋駒が物語る歴史
日本最古の将棋駒は、1992年に奈良市の興福寺旧境内から発掘されました。これらの駒は「天喜六年(1058年)」と記された木簡と共に出土し、平安時代後期に貴族や僧侶の間で将棋が楽しまれていたことを示しています。

Ancient Shogi pieces excavated from the former Kofuku-ji Temple siteac
興福寺からは1993年にも駒が発見され、平安時代の「酔象」駒(将棋の駒の1つ)の実在が確認されました。これにより、初期の将棋に酔象を用いた38枚制小将棋が存在した可能性が示唆されています。
発見された駒を見ると手作り感満載です。
ルールさえ覚えてしまえば、誰でも駒を作ったりして楽しめる、そんなボードゲームの特性があったからこそ、ここまで広がったのかもしれませんね。

Shogi (Japanese chess) pieces from the Heian period, found at the former Kofukuji Temple in Naraameblo
五角形の駒形状の謎
将棋の駒が五角形をしているのは世界的に見ても珍しく、その理由については諸説があります。最も有力な説は、前後の方向がわかりやすく、取った駒を向きを変えるだけで自分の駒として使えるためというものです。
また、仏教寺院で使われる塔婆の形にヒントを得たという説もあり、僧侶が将棋の普及に関わったことを示唆しています。
チェスなどは色分けされていますし、ボードゲームそれぞれで自分と相手の駒を区別する方法も気になりますね。
駒の漢字に込められた深い意味
この記事を読んでいる方が気になっているであろう話題です。
いったい駒の漢字にはどんな意味が込められているのでしょうか?
珍宝佳品説:宝物の名を冠した駒たち
将棋の駒名の由来については「珍宝佳品説」が有力です。これは、中国や朝鮮の駒が将・馬・車・兵など一文字であるのに対し、日本では玉・金・銀・桂・香など珍宝佳品(宝物や美しいもの)を冠して二文字にしたという説です。
この二文字にしたというのは、例えば
「飛車」や「角行」といったもののことですね。
各駒の漢字由来説明
王将と玉将:王は王様を、玉は宝玉を意味します。「国に二王なし」という説がありますが、これは俗説とされています。実際には、平安時代には玉将のみが存在し、王将は後から出現しました。
王の方が後出しなんですね。
飛車と角行:飛車は「飛ぶように走る車(馬車)」を意味し、角行は「角(牛角)を持つ車(牛車)」を表しています。古代中国の四頭曳き馬車戦車(四頭の馬が引いている戦車)が飛車の由来とされています。

A shogi piece with the ‘Dragon King’ kanji carved into itameblo
金将・銀将:これらは貴重な宝物を表し、珍宝佳品説を裏付けています。駒を成ったときの表記でも、草書体で美しく「金」と書かれています。
桂馬・香車:桂馬の桂は肉桂(シナモン)の香料を、香車の香は香木・お香という貴重品を意味しています。どちらも平安時代当時の貴重品でした。
歩兵:唯一宝物ではなく、「歩く兵士」の意味で、歩のみは宝物ではなく歩くの意から兵の上に加えられたものです。なんか悲しいですね・・・馬と牛に負けているわけですし。
成駒に見る書道芸術
中二心をくすぐる草書体ですが、どのような秘密があるのでしょう?
草書体で表現される成駒の美
将棋の成駒には美しい草書体が用いられており、特に「と金」は興味深い例です。歩兵が成った「と金」は、実は「金」の草書体ではなく「今」の草書体であるという説が有力です。「今」の音読みは「キン」で、金との音の類似性から代用されたと考えられています。

Different shogi pieces shown with different calligraphic stylesco
巻菱湖による駒字の確立
現在の将棋駒の多くは、江戸時代末期の書家・巻菱湖(まきのりょうこ)の字体を基にしています。高濱禎という愛好家が巻菱湖の書から駒字を作り、駒師の豊島龍山に依頼して作らせたのが現在の「巻菱湖」書体の始まりです。
現在のデザイナーに近い職業もあったんですね。
私は、竜王の「王」が小さくなっているのがたまらなく好きです。

A set of Shogi pieces with Japanese characterswakei-seijyaku
持ち駒ルール:日本独自の革新
ボードゲームにルールはつきもの、日本の将棋にはどんなルールがあるのでしょうか?
世界唯一の画期的システム
将棋の最大の特徴である持ち駒ルールは、世界の将棋類の中で日本の本将棋だけが採用している独特なシステムです。このルールがいつ成立したかは明確ではありませんが、13世紀頃に確立されたと推定されています。
持ち駒ルールの成立により、将棋は駒を交換するほど局面が複雑になるゲームとなり、これがチェスなど他のゲームとの大きな違いとなっています。
将棋といえばというルールですが、日本独自というのは初めて知りました。
現代に受け継がれる伝統
海外でも普及している将棋は、どのように受け継がれてきたのでしょう?
江戸時代の制度化から現代まで
江戸時代には将棋家元制度(段の認定を行うために作られた制度)が確立され、大橋本家・分家・伊藤家の三家体制が築かれました。1716年には徳川吉宗によって御城将棋が制度化され、毎年11月17日に行われるようになりました。これが現在の「将棋の日」の由来となっています。
国際化する将棋
現在、将棋は海外でも注目を集めており、欧米ではチェスの愛好家が将棋を始めるケースが増えています。インターネットの普及により、世界中の人々が将棋に触れる機会が増え、国際大会も開催されるようになりました。
漢字が読めない海外プレイヤーのために、国際駒や英語表記の棋譜も開発されており、将棋の国際普及に向けた取り組みが続いています。
言語の隔たりがあっても多くの人と楽しく交流できるというのは、ボードゲームにおけるコミュニケーションの特性の素晴らしさを感じさせてくれますね。
まとめ:漢字に込められた日本文化の結晶
将棋の駒の漢字は、単なる文字以上の意味を持っています。古代インドから始まった長い旅路、平安時代の貴族文化、江戸時代の芸術性、そして現代の国際化まで、1000年以上の歴史が一つ一つの文字に込められているのです。
「珍宝佳品説」が示すように、将棋の駒名は日本人の美意識と価値観を反映しており、宝物や美しいものを愛でる心が表現されています。また、持ち駒という世界唯一のルールは、日本人の創造性と革新性を物語っています。
現代でも、美しい書体で書かれた駒を手に取るとき、私たちは平安時代の貴族たちと同じ感動を味わっているのかもしれません。将棋の駒の漢字は、過去から未来へと受け継がれる日本文化の貴重な遺産なのです。
今回の記事はこんなところです。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
それでは皆さん、また次回お会いしましょう。
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